村上春樹が嫌いだ。

読んでる途中にはとても暗い気持ちになる。
面白すぎて、途中で止められなくなる。
途中で止めてしまうと、気分が滅入ったままの上、続きが気になってしょうがなくなる。
何も手につかなくなる。

村上春樹の本を読むときは覚悟と時間が必要だ。

気合いと時間を掛けて最後まで読んだとしても、必ずしもハッピーで終わるとは限らない。謎は掛けっぱなしで放置されることもまま。
肝心な事が明かされないまま、数日もやもやが残ったりもする。

読了後の満足感より、喪失感や、脱力感が勝ることもしばしば。

それでも読ませられる文章は、もはや麻薬といっても過言ではない。中毒性の意味では大麻など軽く超越してさえいる。

解っているはずなのに本を手にとってしまうのは、中毒に罹っている故なのか、文章を文学として楽しみたいという純粋な娯楽精神からくるものなのかは判断が付きかねるところ。
なぜか今更1Q84を読んでみた。
今更ではなく、今だからこそ1Q84を読む意味があったのだと思わされる凄みがある本だ。もしかすると、本当にこのタイミングに意味があるのではないかと思っている。
もし、これから先近い将来、自分の身に何か変な、普通ではない何かが起こったのならば、間違いなく夜空を見上げ月が二つ出ていないかを確かめることだろう。
首都高を走るときは非常階段がないかチェックすることになる。カーテンが不自然にまくれている窓を見たら、その先にカメラがセットされていないか注意深く観察することになる。20年前に思いを寄せたあの子に再び懐古するのかもしれない。
全ては妄想だと解っていながらもだ。

時間は進み続ける。ここではないどこかへ向かって。この先ではないどこかを通って。

もしかすると、私は、今、非常階段を降りている最中なのかもしれない。それとも、再び階段を上り左ではなく右を向いたタイガーを目にした後なのかもしれない。どこにいるのかはまだ解らない。このまま進めば答えが月に照らされ見られるようになるのかもしれない。

今は進もう。その先に階段はなかったとしても。その更に先にはきっと新たな道を見つけることができると信じて。

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