知ってる風の人が嫌いだ

知ったかぶりする人はあまり嫌いじゃなかったりする。でも、「知っています」って言いながら何も解ってない人は嫌いだ。こういう人は知ってる振りをしているのか、本当に自分では知ってるつもりなのか判断に困るときがある。
どっちも嫌いだ。後者みたいな馬鹿は吐き気がする。

一度こんな事を聞かれたことがある。

プログラマの仕事繋がりで初めて顔を合わせ、軽い面接的な質問を受け答えしていたときだ。

「1時間で何行書けますか?」

それまで自分はプログラミングできます的なことを言っていて、こっちの専門的な単語にもあ〜なるほど的なちょっと曖昧に感じる程度の反応をしていた人が何か言い出した。
文章を書く職業の人がどれだけ早く筆を進められるかは大事な指標かも知れないが、プログラマにとってのコードを打つ速さなんて欠片も価値がない。何行書いたかなんて数えた事があるプログラマなんて聞いたことすらない。

そこでわたしは、プラグラマにとってプログラミングを書くということがどういうことなのかを5分ぐらい永遠とまくし立ててみた。あげく、素人が打つ10000行よりわたしが書く100行の方が価値がありますぐらいのことを明言した。

そして相手はなるほど大きくと納得し、こう質問してきた。

「それで、だいたい何行ぐらいですか?」

 

 

頭悪い人のプログラムが嫌いだ

これは何というか、悪い意味ではなくて。IQ低いとか学歴低いとかとは全く関係なく、プログラミング的に頭悪い人がいる。どうしてそうなるの?ってことが多い人。たぶん頭の使い方がおかしいんだと思う。

こういう人には真面目にプログラム書くの辞めた方が良いよって言ってあげるけど、決して聞き入れられない。自分ではプログラミングできてると信じているようだ。

 

 

性格が良いアピールする人が嫌いだ

わたしは性格が悪い人を嫌いではない。というより、人を好きになるか嫌いになるかに性格の善し悪しは関係しない。

どうも勘違いしてる人が多いみたいだけど、良い人と性格が良い人って全然違う。
性格が良い人っていうのは、相手の事を考えて行動できる人。つまり、相手の事を考えられる人の事を言う。
良い人っていうのは、損得なく良い事をできる人。大抵ちょっと頭の作りが変わってる人だと思う。

性格って言うのはその人が持つ本来の性質のことだと思っている。そうすると、「性格」が良いと「性格が良い」でも意味が違う。「性格が良い」という一つの言葉になっているが、「性格」という言葉の意味は見失われていると思う。そもそも性格なんて言葉は最近作られた、外国語を訳す為の学術的用語で意味が非常に曖昧なものだ。

「性格」が良い人っていうのは、だいたい良い人と同じ意味でいいと思う。
「性格が良い」人ってのは、周りに気を使える人って感じで捉えておくといい。つまり、考えて周りに合わすことができる人。それはその人の性質が良いわけではなく、経験や知識から相手のことを考え、相手が望むような行動を実行に移す事ができるということだ。

極端に言えば「性格」が悪い人も「性格が良い」人になることができる。逆は無理。

だから、「性格が良い」からと言って良い人だと判ずるのは大きな間違いだ。例えば詐欺師なんてものはすべからく「性格が良い」と決まっている。じゃないと詐欺なんてできやしないからね。

その上で、必要以上に相手に気を遣って、自分の性格の良さをアピールする人が嫌いだ。

ちなみに、わたしは「性格」が悪いし、「性格が悪い」人だ。良い人を演じる事もできるけど、そうしない方が良いことがたくさんあると思っている。

 

嫌いなことなんて山ほどあるが、思いついたことだけ書いてみた。
こういうことを書くと「頭が良いのに悪い人」について書きたくなる。頭の悪いわたしにはこの事を文章で伝える術がないのが残念だ。

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